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コトダマ

  • 執筆者の写真: 島崎 藤邑
    島崎 藤邑
  • 2023年3月20日
  • 読了時間: 3分

更新日:5 日前

言霊を信じるタイプである。

言葉には不気味にも似た力がある。


スランプである。

粉微塵も音が浮かばないほどに生粋のスランパーである。


すっかり開き直ったつもりで(せっかくキーボードを手に入れたことだし)勉強も兼ねて、自身の曲を分析することにした。

初の試みである。


存外面白かった。

少しずつ思い出しながら、調べながら。

楽器が違うと曲はこんなにも変わるんだな。

鍵盤は楽しいけれど、難しい。


―――――――――――――


今日はラジオで自分の曲を聞いた。

いつもありがとうございます、と思いながら聴いた。

照れくさいような、どこか他人事のような。


お二人の言葉が心底嬉しかった。


変な自信が湧いてきて、自分でするのは野暮だと思ってしてこなかったことをやってみようと思えた。


詞の話をしてみようかと。



元々の曲名は

『白昼夢~ねずみのみる夢~』

だった。


この曲ができたのは昨年の8月末。

(配信限定ひとりライブの頃だったかな)


恐らく夢をみているであろう、ねずみのじゃくさんを眺めて書いた詞だった。

足をバタバタさせていたのだから、きっと走っていたのだろう思う。


夢なら、ねずみもきっと空を飛ぶ。

虹を越えられるし、星にだって手が届く。

ねずみとはいえ、他人の楽しい夢を想像するのは楽しかった。


そのじゃくさんが昨年12月末に亡くなった。

簡易的だけれど葬式をした。


初めての葬式だった。

それまでがいかに幸運だったのかに気付く。


担当してくれた職員さんが『虹の橋』という詩の話をしてくれた。


ペット達は虹の橋で待っていてくれるらしい。

あのじゃじゃ馬娘(ねずみだが)が、待っていてくれるとも思えないが。


虹なんかよりずっとここにいればいいのに、と思った。

星に手が届かないままで良かったのに、と思った。


それからはもう、この歌はこの日の為のものだったとしか思えなくなってしまった。

あのこにとってはきっと楽しい夢なのに、私はそれを想うと寂しくなってしまう。


そんなつもりはなかったのに。

不思議なことがあるものだと思った。


同時に、妙に納得出来たような。

ようやく理解できたような心持だった。


分かったらちょっとだけ悲しくなった。

近頃はこんなことが続いている。


私は空想が好きである。

たとえ話が好きである。

私のうたはそんなものばかりである。


そうだったはずなのに。


空想だったはずの言葉が、ただの空想ではいられないことがある。


『白昼夢~或るねずみの事象~』

これが正題となりました、とさ。


―――――――――――――


まとまりもないこの文章を勢いに任せて(恥知らずのふりして)書き切ることができたのだから、きっとまた新しいものは生まれるのだろう。


これはもはや願望だ。

言葉は引力を持つものである。


言霊は信じるタイプである。

おちょさんは今日も元気である。




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管理者:島崎藤邑

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