コトダマ
言霊を信じるタイプである。
言葉には不気味にも似た力がある。
白状すると、スランプである。
粉微塵も音が浮かばないほどに
生粋のスランパーである。
すっかり開き直ったつもりで、
(せっかくキーボードを手に入れたことだし)
勉強も兼ねて
自身の曲を分析することにした。
初の試みである。
これが意外と面白かった。
少しずつ思い出しながら、調べながら。
こんなこと無意識でやってたんだ、なんて。
(疑惑の転調問題が確信に変わる)
楽器が違うと曲はこんなにも変わるんだな。
鍵盤は楽しいけれど難しい。
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今日はラジオで自分の曲を聞いた。
いつもありがとうございます、
と思いながら聴いた。
恥ずかしいような、
どこか他人事のような。
あいこさんと真実さんが
ラジオで話してくださったこと。
言葉として残してくださったことが
心底嬉しかった。
それは自分がするのは野暮だと、
今までしてこなかったこと。
やってみようと思えた。
自身の詞の分析である。
当初の正題は
『白昼夢~ねずみのみる夢~』
この曲ができたのは昨年の8月末。
(配信ひとりライブの頃だったはず)
そこから見える光景。
そこで聴こえる音。
そこに立っている実感。
全部自分の妄想なのではないかと
思えて仕方なかった。
あらゆる全てが現実味を失くす空間。
自分ではない誰かが、
代わりにそこにいる幻想。
この"ねずみ"というのはつまるところ、
ふたりのような、ひとり。
『藤邑』と所謂『なかのひと』
のことでしかなかった。
少なくとも、その当時は。
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昨年12月末、ねずみ(文字通り)の
じゃくさんが亡くなった。
人を含めて、初めての葬式だった。
(自分がいかに幸運だったかを知る)
"星"と"虹"の意味に気付く。
ぼんやりしてたんだろうな。
まるでその日のことのように聴こえた。
不思議なことがあるものだと思った。
ようやく理解できたような心持だった。
近頃はこんなことが続いている。
私は空想が好きである。
たとえ話が好きである。
私のうたはそんなものばかりである。
そうだったはずなのに。
空想だったはずの言葉が、
ただの空想ではいられないことがある。
『白昼夢~或るねずみの事象~』
今現在の正題となる。
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なんだかんだいって、
まとまりもないこの文章を
勢いに任せて(恥知らずのふりして)
書ききることができたのだから、
きっとまた新しいものは生まれるのだろう。
これはもはや願望だ。
言葉は引力を持つものである。
言霊は信じるタイプである。
おちょさんは今日も元気である。
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